第二章 神々の暗黒


  10世紀イベリア半島は、イスラム世界が支配していた。

  小国に分割されたイベリア半島のキリスト教国は山間部で捲土重来を目論んでいた。

  12世紀、エンリケスはレコンキスタ(国土回復運動)の中、ポルトガル王アフォンソ一世を自称し、ブルゴーニュ王朝 
 を建国、13世紀中頃にはイスラム勢力をイベリア半島から駆逐、ポルトガルとスペインが半島を支配することとなっ 
 た。

  14世紀、黒死病の流行でブルゴーニュ王家が断絶すると、ジョアン一世がアビィシュ王朝を開いた。

  ジョアン一世は交易に力を入れ、子のエンリケ航海王子はアフリカ航路を開拓し、バルトロメウ・ディアスに喜望峰 
 到達を実現させた。
  ジョアン二世の時代には、バスコ・ダ・ガマによってインド航路が開かれ、カブラルはブラジルに到達し、その後もポ
 ルトガルは東方貿易で大いに繁栄をした。

  ポルトガルとスペインとは国王が姻戚関係にあり、互いの争いを避けるため、国王が変わる度に、双方から妃を迎
 えるような関係であった。

  1521年、ポルトガル国王に即位したジョアン三世は、自分の子供たちが次々と病死することを不審に思い、五男の
 ジョアン王子が誕生してからは、宮廷内のスペイン系の女官や使用人をジョアン王子から遠ざけ、弟のエンリケ枢機
 卿の保護の下で育てた。

  そのころ、スペインの国王フェリペ二世は、極端な異端者排斥政策と、カトリック教の硬直した教義主義を展開し、 
 狂信的な国家総合を推し進めていた。各地に異端者審問所を開設し、魔女裁判を行い、7000人のユダヤ人を火刑 
 に処した。また、国外政策においてもその不寛容さは度を超し、アメリカ大陸発見後の植民地政策は、略奪と殺戮を
 極めた。

  ポルトガルのジョアン王子が13歳のとき、フェリペ二世の妹、ファナ・デ・アウストリア王女(16歳)がジョアン王子の婚
 約者として、ポルトガルに入国する。

  ジョアン三世は、アビィシュ王家の断絶を目論むフェリペ二世の領地拡大の野望を感じ取り、ジョアン王子の若い待
 医であるルイス・デ・アルメイダを密かに呼び付けた。

  ジョアン三世のアルメイダへの命令は「ファナ王女を誘惑し、国外に連れ出し、殺せ」というものだった。


第三章 アルメイダに告げよ

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